【ベトナム戦争】枯葉剤とは?なぜ使用された?何が起きた?現代でも続く枯葉剤の影響、歴史と変遷をわかりやすく解説します

ベトナムの歴史
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21世紀、最大の戦争といわれたベトナム戦争。

ベトナム戦争の悲劇は今も終わっていません。その原因が、アメリカ軍が散布した枯葉剤です。戦争が終結して40年以上経った今も枯葉剤による影響が続いています。アメリカ軍はなぜ枯葉剤を使用したのでしょう。今でも続く枯葉剤の影響と共に、その理由を紐解いていきます。

ベトナム戦争とは

ベトナム戦争は1955年~1975年4月30日まで続いた、とても長い戦争でした。もともとの発端は、フランスがベトナムを支配したことが始まり。フランスはベトナムを始め、ラオスやカンボジアなども支配しました。その結果、第一次インドシナ戦争が勃発。1954年にはフランスが撤退し、平和を取り戻し方のように思えたベトナムですが・・・ここでアメリカの介入が始まります。

ベトナム戦争へと発展するまでの経緯

ベトナム戦争へと発展したのは、1964年のトンキン湾事件が原因でした。トンキン湾事件とは、北ベトナムの攻撃艇とアメリカの駆逐艦が衝突した事件のこと。アメリカは北ベトナムが攻撃を仕掛けてきたと思い、このとき初めて戦闘部隊の派遣を命じます。兵力を18万4,000人まで増やしたアメリカは、北ベトナムと激しい攻撃を繰り広げました。

ベトナム戦争はアメリカVSベトナムではなかった

ベトナム戦争は、アメリカとベトナムの戦争と思っている方も多いと思います。実は、この戦争には多くの国が参戦していました。

戦争には多くの国が参戦していました。   

北ベトナム 北朝鮮、ソビエト連邦、中華人民共和国
南ベトナム アメリカ合衆国、韓国、オーストラリア、タイ、フィリピン、ニュージーランド

上記の表を見てもわかるように、ベトナム戦争は社会主義VS資本主義の代理戦争だったのです。

国内の反発によりアメリカは撤退

アメリカは圧倒的な兵力により、この戦争は圧勝と思われていました。しかし、アメリカ軍の攻撃は世界中から反感をかいます。同時に国内での反発も強まり、兵士の士気も低下。これにより1972年までには、アメリカの地上部隊はほぼ撤退しました。翌年の1973年、アメリカ軍はすべて撤退し、北ベトナムがサイゴン(現在のホーチミン市)を占領します。

1975年、北ベトナムは現在の統一会堂に乗り込み4月30日に南ベトナムが崩落。これで長く続いたベトナム戦争は終結を迎え、南北統一したベトナムが誕生しました。

アメリカ軍が関与した本当の理由

フランスがベトナムの植民地から撤退後、アメリカが関与したのには理由がありました。ベトナムの周辺にはソビエト連邦や中国など、社会主義の国が勢力を伸ばしていました。その勢力は東南アジアをも脅かすほどの勢いです。

当時、ベトナムは南北に境界線が貼られており、社会主義の北ベトナムと資本主義の南ベトナムという考えが根付いていました。北ベトナムが南ベトナムを侵略してくるのも時間の問題。そうなれば、ベトナム全土が社会主義に浸透してしまいます。それを阻止するために関与したのがアメリカです。

アメリカがベトナム戦争で枯葉剤を使用

ベトナム戦争で忘れてはいけないのは、アメリカ軍が使用した枯葉剤です。枯葉剤の使用により、現在も多くのベトナム人が苦しめられています。一般の方からすると、枯葉剤がどのようなものかわからないという方も多いでしょう。

枯葉剤とは本来どのような使われ方をするものなのか、またなぜアメリカ軍は枯葉剤を軍事利用したのか、その疑問を解決していきましょう。

枯葉剤とは

枯葉剤とは除草剤の一種で、アメリカのアーサー・ガルストンによって発明されました。発明された当時の目的は、マラリア蚊やカエルを退治するためです。しかし技術の発達により枯葉剤が量産化。最終的には化学兵器の一種として使われるようになります。

本来は除草剤としての役目を果たさなければいけない枯葉剤も、結果として別の使われ方をするようになりました。

なぜ枯葉剤を使用したのか

アメリカ軍が枯葉剤を軍事利用したのは、次の2つと言われています。

・敵の浸透作戦を防ぐため森林に枯葉剤を巻き、敵が隠れる場所をなくす

・敵の区域で作られる農作物を汚染して食料を奪う

枯葉剤が多く撒かれたのは、サイゴン(ホーチミン)周辺やタイニン省、バクリエウ省です。散布は1961年~1975年まで続いたとされており、とくに1964年以降は大量散布していました。

ベトナム戦争によって枯葉剤が使われた影響は今も続いている

アメリカ軍が大量散布した枯葉剤は、多くの市民を巻き込みました。ベトナム戦争で使われていた枯葉剤はとても毒性が強いため、動物実験でも胎児に奇形が起こっていたほどです。その影響は、ベトナム人のみならず現地に在住していたアメリカ人をも巻き沿いにしました。

枯葉剤の影響で後遺症が続く現在

1961年から散布されていた枯葉剤。サイゴンの日刊紙では1969年に、枯葉剤を散布された地域で出産異常が増加していることを掲載しました。さらにハーバード大学のマシュー・メセルソンも、出産異常の激増を報告しています。

被害の影響をもっとも受けたのは、何の罪もない胎児です。生まれてくる子供は先天性口蓋裂が増え、奇形出産率も多くなりました。ベトナム政府の発表によると、枯葉剤の影響は最大300万人と言われています。

ベトナム戦争が終結した今も、約100万人ものベトナム人が健康被害を受けているとされています。

ホーチミンの戦争証跡博物館では枯葉剤の影響を見学できる

ベトナム戦争による枯葉剤の影響は、ホーチミン中心部にある戦争証跡博物館で見学できます。ここは年間約100万人もの人が訪れる、ホーチミン屈指の観光スポットです。

戦争証跡博物館では、ベトナム戦争がいかに規模が大きかったのか、またどれだけ悲惨な状況だったのかが、展示品やパネルを使って説明してあります。ベトナム語と英語で説明が書かれてありますが、それらを読まなくても十分過ぎるほど理解できるよう工夫してあるので、言葉が分からなくても大丈夫です。

数々のパネルが展示してある戦争証跡博物館ですが、中でも大々的に展示してあるのが枯葉剤による影響を受けた人々の写真です。思わず目をそむけたくなるほどの酷い姿は言葉が出ません。

数年前は、枯葉剤の影響で生まれた赤ちゃんがホルマリン漬けにされているものも展示してありました。戦争がいかに残酷なものなのか、またアメリカ軍が枯葉剤を使う理由が本当に正しかったのか考えさせられます。

まとめ

代理戦争といわれたベトナム戦争は、何の罪もない人を多く苦しめた戦争でもあります。ベトナム戦争が終結して40年以上経った今も枯葉剤の影響で苦しんでいる人を見ると、枯葉剤がどれだけ凶器なのかよくわかります。

戦争証跡博物館はベトナム戦争を学ぶだけでなく「戦争とは何か?本当に人類にとって必要なものなのか?」を考えさせられる場所です。実際に枯葉剤の影響を受けた方のパネルを見て、戦争について考えてみましょう。