ベトナムとフランスの関係を徹底解説!植民地支配からインドシナ戦争、現代のパートナーシップまで密接な関係をわかりやすく解説します

ベトナムの歴史
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フランスがベトナムを占領していたことは、世界史をかじったことがある人であれば、ご存じだと思いますが、現在どのような関係性なのか知っている方は多くないと思います。今回は、ベトナムとフランスの過去と現在を紹介していきます。

ベトナムとフランスの歴史的背景

ベトナムとフランスの接点

ベトナムとフランスの関係の始まりは、16世紀にさかのぼります。16世紀頃カトリック系キリスト教が伝わり、北部沿岸で少しずつ信者が増えていきました。度重なる中国王朝からの侵略を受けつつも、なんとかその攻撃を退けていたベトナムですが、19 世紀初頭にはフランスの支援を受けてグエン王朝(阮朝)が全国統一を成し遂げることになります。

フランスによるベトナムの占領の始まり

1840年のアヘン戦争を機に、フランスとの関係が悪化し始め、1858年当時の清王朝の力が衰えてきたことを機に、「カトリック宣教師団の保護」を名目にフランスがスペインとともに中部ダナンでベトナムへの攻撃を開始しました(コーチシナ戦争)。翌1859年には、サイゴン(現:ホーチミン)をはじめとしたベトナム南部を占領し、サイゴンを本拠地としました。

その後、北部のハノイも占領し、当時のグエン王朝(阮朝)に保護条約を承認させ、1884年にフランスの保護国となったことをきっかけに実質的なフランス植民地支配の時代が始まります。この時、ベトナムだけでなくカンボジアやラオスも支配下に置き、1887年にはそれらの国も併せた「フランス領インドシナ連邦」を成立させました。

過酷なフランス占領時代

不平等な関税制度とともに農地や土地はフランスのものとされ、農民たちは小作農民として重労働を強いられた上に重税も課せられ、フランスによる搾取が強まりました。また、学校ではフランス語のカリキュラムが導入され、これまで使っていたチュノム文字(漢字)の使用が禁止されました。

代わりにアルファベットを使ったベトナム語表記(チュ・クオック・グー)のみが許されるようになり、現在でもこれが使用されています。さらに、フランスはインドシナ大学を設立し、高等教育をすべてフランス語で行うなど、ベトナムでフランス同化政策を進めていきました。

独立への道のり

フランスによる過酷な圧力により、ベトナム人の中でフランスを排除しようとする意識が生まれ、排仏運動がたびたび起こるようになりましたが、そのたびにフランス政権による弾圧が行われました。

この運動の中で、ファン・ボイ・チャウ(ベトナム民族主義運動、独立運動の指導者)やホー・チ・ミン(ベトナム建国の父)が独立に向けた活動を強めていき、1941年にはホー・チ・ミンがベトミン(ベトナム独立同盟)を結成し、独立運動を展開していくことになります。

第二次世界大戦

1945年、第二次世界大戦中にベトナム北部に進駐していた日本が無条件降伏すると、ホー・チ・ミン率いるベトミン(ベトナム独立同盟)がハノイで蜂起し、八月革命を起こします。さらに、その年の9月2日にハノイで独立宣言を行います。なお、ホー・チ・ミンが独立宣言を行った9月2日は、ベトナムでは現在でも独立の日として祝日になっています。

第一次インドシナ戦争

しかしこれでフランスの占領が本当に終わるわけではありません。ベトナムの再占領を目論むフランスにより、1946年フランスとの間で第一次インドシナ戦争が勃発します。中国・ソ連の支援を受けた北部ベトナム(ベトナム民主共和国)とフランスが南部で樹立した傀儡国家である南ベトナム共和国が対立することになります。結果は北ベトナムの勝利で、1954年のジュネーブ停戦協定を機に正式にフランスから独立することになります。

第二次インドシナ戦争(ベトナム戦争)

フランスからの独立を勝ち取ったものの、共産主義の拡大を恐れたアメリカの介入により、ジュネーブ協定は反故されてしまいます。共産主義の北ベトナムと、アメリカの傀儡国家となっている南ベトナムの間で南北ベトナム統一に向けた戦いが始まります。この戦いは1975年に北ベトナムの勝利で終りを迎え、ようやくベトナムは統一と独立を果たすことになります。

フランス統治による影響

フランス統治による影響は現在でもベトナム各地で見ることができます。特にホーチミン市は「東洋のパリ」と呼ばれ、フランス統治時代の影響を色濃く残しています。その最たるものが教会と食事です。

ベトナム北部の中心地ハノイ市、中部の中心地ダナン市、南部の中心ホーチミン市にはそれぞれキリスト教の教会が現存しており、観光地であるとともにキリスト教徒の集まる場所でもあります。また、食事に関しては、バゲット(フランスパン)とコーヒーが特徴的です。

小ぶりなバゲットを縦に開いて中に香草やハムなどを入れたバインミーは、ベトナム人に親しまれるローカルフードとして親しまれていますし、ベトナム人は毎朝コーヒーを嗜むほどコーヒーが根づいています。

ベトナムとフランスの現在の関係性

国交正常化

1973年4月12日にベトナムとフランスは正式な外交関係を樹立し、政治関係の強化と相互理解のため、代表団の相互訪問を頻繁に行うほか、経済や安全保障などの分野における戦略的対話を繰り返してきました。

国防安全保障協力において、フランスは1991年にベトナムに防衛駐在武官を置いた最初の西側諸国となりました。この関係はさらに強固となり、ベトナムとフランス両国は国防分野における戦略的パートナーシップに合意しました。

経済的つながり

フランスはベトナムに投資している140か国(地域)のうち16位、ヨーロッパ諸国の中ではオランダと英国に次ぐ3位で、605件のプロジェクトで、総資本登録投資額は36億米ドルに達しました。

フランスはヨーロッパの中でもベトナムへのODA額が多い出資国であり、ベトナムはアジアでフランスのODAを受け取っている国の中で2番目にランクされています。現在では、ベトナムにおける都市鉄道開発計画が進んでおり、フランスはハノイにおける3号線の建設を行っており、運行開始に向けて開発が進んでいます。

まとめ

今回は、ベトナムとフランスの関係性について説明してきました。2023年にベトナムとフランスは外交関係樹立50周年、戦略的パートナーシップ10年を迎えます。今後も両国間の関係性は強化されていくことを望むばかりです。