ベトナムとロシアは深い関係があります。その元となっているのが、両国とも社会主義国であるということ。現在のベトナムが誕生したのも、ロシアとの関わりがあったからといっても過言ではありません。ベトナムの歴史において外すことのできない、ロシアとの関係を見ていきましょう。
ベトナムとロシアが共通する社会主義国の歴史
ベトナムとロシアはどちらも社会主義国です。ベトナムが社会主義国になった背景には、ロシアの存在が欠かせませんでした。ベトナムがどのようにして社会主義国へと変わっていったのか、ロシアとの関りを元に紹介します。
史上初の社会主義国の誕生
1917年、世界で初となる社会主義国が誕生しました。それはソビエト連邦(現在のロシア)です。この年、ロシア革命が起こり社会主義国となったロシア。その数年後には、国際共産主義運動の組織「コミンテルン」が結成されます。
当時、フランスの植民地だったベトナムは、コミンテルンにより植民地解放を支援されていました。このコミンテルンですが、現在のベトナムを作った要ともいうべき重要な存在なのです。
ベトナム建国の父「ホーチミン」の思想
フランス植民地だったベトナムに大きな動きを見せたのが、ベトナム建国の父と呼ばれる「ホーチミン」です。ホーチミンは各国を回っていた最中に、ソビエト連邦の成立を知ります。このとき、社会主義の思想に感銘を受けたホーチミンは、フランスに行き社会主義政党であるフランス社会党に入党。
またコミンテルンの活動にも積極的だったホーチミン。1923年には、コミンテルン第5回大会でソビエト連邦へ渡り、アジア担当の常任委員に選出されました。この出来事をきっかけに、ホーチミンは真の共産主義者となります。
コミンテルンの中では少し思想が違ったホーチミンは、国際レーニン学校で共産主義者になるための学習生活をしています。第二次世界大戦、ベトナム戦争と経験したホーチミンは国家主席兼首相に就任。これを気に、ベトナムは社会主義国家として今日に至ります。
ソビエト連邦(ロシア)と強い絆に
ホーチミンの動きからもわかるように、ベトナムとロシアは社会主義の思想で結ばれていました。その絆がより強いものになったのは、第二次世界大戦後のこと。
1950年代には、ベトナムとソビエト連邦は科学技術協力協定を結びました。この協定により、さまざまな分野においてソビエト連邦から技術を導入します。
また外国語習得の動きもソビエト連邦寄りでした。学生たちに学ばせる外国語科目は、同じ社会主義国であるロシア語や中国語を重視。ソビエト連邦への留学も積極的に行われていました。
代理戦争と呼ばれたベトナム戦争
ベトナム戦争というと、ベトナムVSアメリカというイメージが強いでしょう。しかし、この戦争は代理戦争と呼ばれていました。共産主義を貫きたい北ベトナムと、資本主義を広げたい南ベトナム。当時、ベトナムは二ヵ国に分断されていました。第二次世界大戦後、アメリカとソビエト連邦は冷戦時代を迎えています。
その追い風は、ベトナムへと向けられました。社会主義国になってもらいたくないアメリカと、社会主義国を支援するソビエト連邦の戦いです。結果として北ベトナム(共産主義)が勝利。ハノイ中心部には今でもレーニン大統領の銅像が建てられています。
ウクライナ情勢によるベトナムとロシアの関係
ウクライナとロシアの戦争は、世界中にショックを与えました。21世紀になってこのような戦争が起こるとは、誰が想像したでしょう。
ロシアのウクライナ侵攻は世界中から非難を浴びています。ここで苦しい立場になるのが、関係を強化している社会主義国です。ベトナムも例外ではありません。
ウクライナ侵攻による国連決議では棄権
ロシアがウクライナ侵攻を始め、国連決議でベトナムは棄権を貫いています。ベトナムにとってロシアは大切なパートナーです。
日本を含め、欧米諸国のほとんどはウクライナ侵攻を反対しています。ベトナムは、賛成でも反対でもない立場を表明しました。
ベトナムは中立の立場を維持
ベトナムの心中はどうなのでしょう。日本との首脳会談では、ベトナム・日本ともウクライナ軍事攻撃は容認できないことで一致しています。
また即時停戦を求めていることも表明されました。ベトナムはウクライナへ人道支援も検討しています。ベトナムはどちらの立場を支持しないが、この戦争が早く終わってほしいことを願っているのは確かです。
まとめ
フランス植民地時代から始まる、ロシアとベトナムの関係。同じ社会主義国とあって、関係はより深いものです。戦後もロシアとの関係を強化したベトナムですが、ウクライナ侵攻は難しい立場に追い込まれています。
ロシアとの関係を壊さず情勢を沈下させるのは至難の業です。私たちが思う以上に強い絆で結ばれた両国は、これからも同じ思想を辿っていくのかもしれません。