【仲良し?】ベトナムとアメリカの両国関係を徹底解説!政治面・文化面・感情面を考察してみます

ベトナムの歴史
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みなさんシンチャオ!

昨今、中国と台湾、ロシアとウクライナ等複雑な関係になっている国がいくつかあります。ベトナム戦争などの歴史的背景もあり、ベトナムとアメリカは仲が悪いと思っている方も多いと思います。実のところ、ベトナムとアメリカの関係性はどうなっているのか説明していきます。

文化面・感情面

難しい話は後にするとして、まずはわかりやすいところからお話ししていきます。

ベトナムのアメリカに対するイメージ

ベトナム人に好きな国はどこか質問すると、多くの人がアメリカと返答するようになっています。ベトナムとアメリカの関係を考えるうえで、ベトナム戦争は切っても切り切れないものです。枯葉剤の被害に苦しむ方々は、少なからず残っていますが、そこはベトナム人の賢いところであります。

ベトナム人の多くは柔軟で現実的な考え方をもっており、自分たちの生活を豊かにするためには何が必要なのかを考え、過去のしがらみにとらわれることなく、合理的な判断をすることができます。この点に関しては、日本人にも同じようなことが言えます。

戦争による被害に苦しみながらも、戦後の復興のためにアメリカを拒絶するのではなく、うまく付き合っていく道を選んだ当時の日本人は未来のために苦渋の選択をしたのではないでしょうか。

言語教育

日本やベトナムなど英語以外を母国語とする国では、第二言語として英語を学習することになりますが、ベトナムでは小学校に入学する前の段階から英語教育が始まります。

これが功を奏してなのか、ホーチミンやハノイなどの大都市のほか、観光地として有名な場所では英語で会話ができることも珍しくありません。その点では日本よりも英語教育は進んでいると考えてもいいでしょう。また、アメリカに留学するベトナム人の数も決して少なくありません。

経済面

米中貿易摩擦の影響

米中の貿易摩擦の影響で、中国を生産拠点としていたグローバル企業のサプライチェーンの再編が進み、ベトナムへ生産拠点を移転する動きが活発になっていることもあり、対米貿易黒字が増加しています。このようなことが影響して、ベトナムは米中貿易摩擦の恩恵を最も受けている国とも言われています。

ちなみに、ベトナムと中国の関係に関してはあまりいいものとは言えません。1979年に勃発した中越戦争により悪化した関係は、南シナ海の西沙諸島、南沙諸島の領有権をめぐっての争いが続いていることやベトナムの漁船が中国の沿岸警備艇に衝突され沈没したことに関する紛争などにより、良好とは言えない状態が続いています。

ただし、経済的なつながりは良好な関係が続いていると考えても差し支えありません。中国から素材や半製品を輸入し、製品を輸出するという加工貿易が盛んに行われており、一般消費財や鉄鋼等も中国からの輸入に頼っていると考えられます。現在のベトナムと中国の関係は、「政治的には対立しながらも経済的には相互依存する」という政経分離の状態であるといえます。

ベトナム戦争による影響

1975年のベトナム戦争終結後、ホーチミンを中心としたベトナム南部のベトナム人たちは、ベトナムからアメリカやカナダなどに移動し、移民や難民として生活を始めることになります。当時アメリカ政府の支援を得てアメリカに渡ったベトナム人は、約12万5千人にものぼると言われています。

その後も、家族や親戚をアメリカに呼ぶかたちでベトナムからの移民が増加していき、2017年には、アメリカに移住した外国人総数の約3%を占めるようになりました。

アメリカに移住したベトナム人たちが、家族への仕送りや投資を行ったり、ベトナムに戻り事業を始めることでベトナム経済に貢献したり、新しい商品やサービスなど輸入しベトナムを発展させる一助になっています。

政治面

米越国交正常化

1994年2月3日に、アメリカの当時のクリントン大統領は、ベトナムに対する経済制裁の全面解除を正式に発表し、翌年1995年7月11日には、アメリカとベトナムとの国交正常化を発表しました。1995年はベトナム戦争終結から20年という節目の年であったことからも注目されました。

在ベトナムアメリカ大使館のダニエル・クリテンブリンク大使は、ベトナムはアメリカのインド太平洋戦略における極めて重要な役割を果たしていると述べています。

しかし、アメリカとベトナムの国交回復交渉は、ベトナム戦争時に現地に派遣された2000人以上のアメリカ兵が行方不明であったことから難航していました。

1990年代にベトナムに進出したいアメリカの産業界からのアメリカ政府への圧力とドイモイ政策に転じアメリカ企業の誘致を狙うベトナム政府の思惑が一致したことにより実現したといわれています。

国交正常化後の動き

1995年7月11日にボー・バン・キエット首相(当時)とビル・クリントン大統領(当時)による国交正常化(国交回復)が発表され、同年8月5日にはハノイ市に在ベトナム米国大使館を、ワシントンD.C.に駐米国ベトナム大使館を開設しました。

その後も、2000年6月には、ベトナム戦争の被害克服に着手するため、地雷除去のために米国が170万USDの援助を行ったり、枯葉剤の被害に関する研究を行ったりしました。

2000年11月のクリントン大統領によるニクソン大統領以来31年ぶりのアメリカ大統領の訪越や、2005年6月のファン・バン・カイ首相らベトナム代表団が戦後初めての米国公式訪問、2013年のチュオン・タン・サン国家主席の米国公式訪問など、関係強化のための取り組みが行われました。

国交回復後の米越関係

ベトナムとアメリカの関係性を表す言葉として、「建設的パートナー」「全面的協力パートナー」「戦略パートナー」※という言葉があります。いずれのことばも、明確な定義が存在するわけではありませんが、徐々にベトナムとアメリカの関係が緊密になっていることに変わりはありません。

建設的パートナー

「建設的パートナー」とは、国交回復後、安全保障に関して軍事的な協力関係を結んだときの関係性を示す言葉で、2005年に当時のベトナム首相がアメリカを訪問し、当時のアメリカ大統領との首脳会談で、軍事教育訓練合意書に調印したことから始まります。

全面的協力パートナー

「全面的協力パートナー」とは、安全保障・軍事分野での協力関係を続けてきた両国が、2013年のベトナム国家主席の訪米の際に、当時のアメリカ大統領との首脳会談を経て公表された関係性の名前です。当時、中国との間で南シナ海における領域主権に関する対立が表面化し、中越関係が緊張状態になっていたことも一因となり、アメリカとの関係強化を計ったものであると考えられます。

戦略パートナー

「戦略パートナー」とは、ベトナムの安全保障にとって重要な国が該当するとされ、日本や欧米諸国が含まれています。2010年の国務長官の訪越の際にベトナムとアメリカは「戦略パートナー」となることを目指していることが確認されましたが、より強い信頼関係を構築するには、価値観の相違や人権問題など解決すべき難問が多く存在しています。

これより上の関係性を表す言葉に「全面的戦略パートナー」があり、ロシアと中国がこれに該当するといわれていますが、中国との政治的対立が続き、ロシアの国際的立場も危ぶまれるようになってきていますので、アメリカとの関係性の強化が重要になってくることは明白であると考えられます。

※参考

中野亜里,,米越関係 戦後40年の軌跡と新たなパートナーシップの構築,立教アメリカン-スタディーズ,2016-03

まとめ

今回は、ベトナムとアメリカの関係性という少し難しい話をしてきました。ベトナム戦争終結後から、今に至るまで様々な思惑が渦巻く中、ベトナムは国際社会で生き抜いていくために必死にもがきアメリカとの関係性を築いてきたことは容易に想像できます。

今回は、史実に基づく考察が主な内容になっていますので、実際にベトナム人がアメリカのことをどう思っているのか、アメリカ人がベトナムのことをどう思っているのかはわかりませんが、人間である以上互いに譲れない部分があることはいたし方いないことだと思います。

多くの人が互いに共存していくためには、尊敬と譲歩が不可欠です。相手に考え方を押し付けることなく、協力関係を築いていけるように少しずつでも進んでいくことを期待します。

それでは、この辺でヘンガップライ!