昔はサイゴン?今はホーチミン?ベトナム南部最大都市ホーチミン市の歴史と変遷を徹底解説します。

ベトナムの歴史
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皆さんシンチャオ!

ベトナム旅行といえば、ダナンやホイアンなど中部の地方も最近注目を集めていますが、やはり南部のホーチミンか首都ハノイという2択になる人も多いのではないでしょうか。今回は、南部最大の都市ホーチミン市の歴史についてです。最後までお付き合いいただけるとうれしいです。

ホーチミン市のなりたち

「プレイノコール」(創建期)

現在では、「ホーチミン市」という名前ですが、元来はクメール人が居住する「プレイノコール」という地名でした。クメール語でプレイは森を、ノコールは街を意味し、「森の街(森のある土地)」という意味になります。現在でも一部の人々の間では、この呼び名が用いられています。

「プレイノコール」から「ザーディン」へ(クメール人からキン人への交代)

1623年、カンボジア王チェイ・チェッタ2世は、鄭阮(ていげん)戦争で阮氏広南国(げんしこうなんこく)から流出した難民を受け入れ、プレイノコール一帯への居住を許可しました。難民であったキン人(現代ベトナムの主要民族)の定住者はだんだん増えていったが、シャムとの戦争により弱体化したカンボジア王国はキン人の流入を防ぐことができず、ゆっくりとベトナム化して行きました。

そして、プレイノコールは、ベトナム語でザーディン(Gia Định)という名前がつけられ、一時はザーディン城(Thành Gia Định)と呼ばれた巨大なヴォーバン式星形要塞が作られましたが、のちにフランスによって破壊されました。

「ザーディン」から「サイゴン」へ(フランスによる統治時代)

その後、フランス統治下の1862年、サイゴン(Sài Gòn)という呼称が一般的になっていたこともあり、ザーディンはサイゴンと呼ぶようになったといわれています。このサイゴン(Sài Gòn)という名前の由来は様々です。

語源としてよくいわれるのは、Sàiは中国語の「柴」で「柴、丸太、小枝」を意味し、Gònは中国語の「棍(コン)」で本来は「棒、樹木の幹」という意味ですが、ベトナム語では「綿」を意味するということです。クメール人がプレイノコール周辺で綿花を栽培しており、そこから「サイゴン」とつけられたのではないかと言われています。別の説によれば、「Sài=小枝」と「Gòn=幹」であり、かつて周辺に木々が密集していたことからつけられたのではないかとされています。

「サイゴン」から「ホーチミン」へ(南北ベトナム統一)

1954年のジュネーヴ協定により、ベトナムが公式に北ベトナム(ベトナム民主共和国)と南ベトナム(ベトナム共和国)に分断された際には、サイゴンは南ベトナムの首都として機能していました。のちに、ベトナム戦争が勃発し、南ベトナムには多くのアメリカ資本が投入され戦争は長引きました。

1973年のパリ協定締結によってアメリカ軍の全面撤退が決まり、以降は徐々に南ベトナムは劣勢に陥り、1975年4月30日にサイゴン市内に北ベトナム軍が進軍したことで南ベトナム政府が崩壊しベトナム戦争が終結しました。これは、サイゴン解放(サイゴン陥落)と呼ばれ、現在でも解放記念日として伝わっています。1976年に統一国家であるベトナム社会主義共和国が誕生し、これを機に「サイゴン」は「ホーチミン市」となりました。

「ホーチミン市」の由来

現在のホーチミンという名前は、当時のベトナム共産党政府がその指導者であるホー・チ・ミン氏の名前からつけたものだといわれています。ホー・チ・ミン氏は現在でもベトナム建国の父として多くの人から慕われており、親しみを込めて「ホーおじさん(Bác Hồ)」と呼ばれていたそうです。現在でも、銅像や肖像画が飾られたり、記念切手が発行されるなどベトナム人にとって重要な人であることがうかがい知れます。

ホーチミン市の表記

日本では、ホーチミンという呼び名で定着していますが、これはベトナム国民の父として有名なホー・チ・ミンという人物の名前に由来しています。通常は、ホー・チ・ミンさんと区別するために、ホーチミン市というように、「市」をつけることが多いです。

ベトナム人や在住の方にとっては、南部の都市を指すときには「ホーチミン市」と表現するのが当たり前です。ベトナム語では、「Thành phố Hồ Chí Minh」、英語では、「Ho Chi Minh City」と表現でき、それぞれ「TP.HCM」や「HCMC」と省略して記されることもあります。

今も残る「サイゴン」

「サイゴン」という名前は現在でも多くのところで目にすることができます。例えば、ベトナム統一鉄道のターミナル駅は「サイゴン駅」であったり、タンソンニャット国際空港のIATAコード*は「SGN」のままであったり、河川も「サイゴン川」から変わっていません。また、ビア・サイゴン(ビールのブランド名)をはじめとして、多くの商品や企業名にも「サイゴン」という名前が残っています。

さらに、「サイゴン」はホーチミン市の中心部(1区、3区周辺)を指す言葉としても使われることもあります。ただ、ベトナム南部、特にホーチミン市に住む人々にとっては、1区のドンコイ通りといった表現をすることが一般的ですので、あまり触れる機会は多くないかもしれません。

ベトナム人の友人曰く、年配の方や郊外出身の方、郊外に住んでいる人は、サイゴンを使う人が多いそうですが、書類上では、「ホーチミン市」と記載するそうです。このように、人によってきちんと使い分けがされているわけではありませんので、そんなに神経質にならなくてもいいかもしれません。

*IATAコード…羽田空港=HND、関西国際空港=KIXなど各空港につけられるアルファベット3文字のコードのことで、3レターコードとも呼ばれます。

現在のホーチミン市

ホーチミン市の行政区画

ホーチミン市は他の省と同格の都市(日本でいうところの都道府県)であり、ハノイ、ダナン、ハイフォン、カントーと並んで5大政府直轄都市(政府の管轄を直接受ける都市)の一つです。現在は16区、5県、1市で構成されています。

ホーチミン市の中に別の市や県があることに疑問を持つ方もいるかもしれませんが、先にも述べたように、ホーチミン市は「省」と同格の権限がありますので、ややこしいと思う方は、ホーチミン省の中に16区、5県、1市があると考え他方がわかりやすいかもしれません。

現在のホーチミン市は、1,3,4,5,6,7,8,10,11,12区、ビンタイン区、ビンタン区、ゴーヴァップ区、タンビン区、タンフー区、フーニャン区、ニャベ県、カンゾ県、クチ県、ホクモン県、ビンチャイ県、トゥドゥック市で構成されています。

もともとは、2区、9区、トゥドゥック区も存在していましたが、2020年12月に合併し、人口は100万人超のトゥドゥック市となりました。東部都市構想として行われたこの合併で、トゥドゥック市はこれから1区に並ぶ経済都市として発展していくことが期待されています。

ホーチミン市の経済

ホーチミン市は、南ベトナム時代から経済・政治の中心として機能していましたが、現在でもその姿は健在です。現に、ホーチミン市は15の工業団地及び輸出加工地区が存在していたり、数多くの外国企業が拠点を構えていたり、2001年にベトナムで最初の証券取引所が開かれたりと経済の中心として機能しています。多くの外国人が住んでいることもあり、日本語学校を始めとしたインターナショナルスクールも多く存在しています。

ホーチミン市の文化

フランス統治下であったこともあり、都心部には並木道が通っていたり、歴史的なフランス植民地風の建物が並んでいたりと文化的にも重要な景観が残っている場所でもあります。ホーチミン人民委員会庁舎、サイゴン中央郵便局、サイゴン大教会、ホーチミン市民劇場(サイゴンオペラハウス)は、フランス統治下の建築として観光スポットとして有名です。

また、戦争証跡博物館や統一会堂などベトナム戦争時代の惨劇を後世に伝える負の遺産が残っており、観光とともに歴史を知ることができる重要な場所です。その他郊外には、ベトナム戦争時代の南ベトナム解放民族戦線のベトナム兵が実際に使用した施設(拠点)を見学できたり、メコンデルタ地帯の自然を感じることができたり、カオダイ教というベトナムの新興宗教の総本山を見学したりすることもできます。

ホーチミン市の料理

ベトナムといえば、フォーや生春巻きなどアジアンテイストの料理を思い浮かべる人が多いと思いますが、フランスの植民地になっていたこともありフランス料理の店も多いです。フランスパンはバインミーというベトナム風のサンドイッチに使われており、多くのベトナム人だけでなく観光客にも人気です。最近では、日本食の店も増えてきており、様々な国の料理を楽しむことができます。

まとめ

いかがでしたでしょうか。今回は、ホーチミン市の歴史的な話と現在の姿をお届けしました。これから更なる発展を遂げていくであろうホーチミン市の姿が、楽しみになったのではないでしょうか。
ではまた、ヘンガップライ