みなさん、Xin Chao!
突然ですが、クチトンネルという言葉をご存じでしょうか。観光ツアーなどでは、必ずと言っていいほど行程に組み込まれているような場所です。メコンデルタと並ぶ有名観光地がクチトンネルです。今回は、そんなクチトンネルについて紹介していきます。
クチトンネルとは
戦時中のクチトンネル
クチトンネルとは、ベトナム戦争時、南ベトナム解放民族戦線(通称ベトコン)が秘密基地として利用した地下道のことで、ゲリラ戦に使用されていました。はじめは、資料や武器を格納したり、兵士が身をひそめたり、情報の伝達をサポートしたりするためのものであったため、各集落に短いトンネルがあるだけでした。
しかし、各集落間の移動や情報伝達の必要性からそれぞれのトンネルをつなげていき、1965年には全長約200kmのトンネルと約500kmの塹壕が作られました。最大規模になったトンネルは、現在のホーチミン市クチ県(1区から車で1時間半ほどの場所)からカンボジアとの国境付近まで張り巡らされました。アメリカ軍ができなかった「鉄の三角地帯」という別名もついています。
クチトンネルの特徴
トンネルは、粘土質で重火器の破壊力に耐えうる耐久性がありました。しかし、爆撃などで破壊されてしまうこともあり、そのたびに作り直し再建するのはかなりの負担だったと思いますが、再建させていることから、当時の人々の忍耐強さとある種意地のようなものが感じられます。
内部は、上層(地面から約3m)、中層(地面から約6m)、下層(地面から約8〜12m)の3層に別れており、ところどころに小さな小部屋も作られました。それぞれの小部屋は、居住スペース、会議室、食料や武器の保管庫、台所など様々な用途で使われていました。また、排煙、呼吸のための細い小さな穴も作られ、これらはアリクイの巣に偽装するなどして、巧妙に隠されていました。
その他の出入口も植物で巧妙に隠され、当時のベトナム兵の知恵が詰め込まれていることがうかがい知れます。トンネル内部はかなり狭く、人一人通るのがやっとな大きさですが、ベトナム人は小柄な体格の人が多く、移動にはそれほど困っていなかったと考えられます。
観光地としてのクチトンネル
ベトナム戦争時に使われていたクチトンネルですが、現在は観光地として多くの観光地が訪れる場所となっています。施設内では、見学するものがほとんどですが、一部体験できるものもあります。以下に一部紹介します。
クチトンネルで見学できるもの
・爆撃され窪んだ場所や観光者用に作り直したトンネル
・当時の集落の生活を再現した建物
・当時使用していたタイヤを使用した履物を制作している様子
・実際に使用していた罠を再現したもの
・戦車やヘリコプター、武器など
・戦争に関する映像資料の視聴
クチトンネルで体験できるもの
・観光者用に少し大きく作り直したトンネルの通行(希望者のみ)
※トンネル内部は、狭く、暗い場所ですので、希望者のみ体験できます。
・ライフル体験(オプション)
※ベトナム軍が管理している場所ですので、軍の事情で体験できない場合もあります。
・戦時中に実際に食していたキャッサバ芋の試食と笹の葉茶の試飲
また、施設とは直接は関係ないですが、施設内には様々な樹木があります。その中にはリュウガンなどの果物が実っている様子を見ることもできます。実際に生息している様子をじかに見てみるのもいいかもしれません。
クチトンネルへの行き方
現在では観光地となっているクチトンネルですが、どのようにしていくことができるのかご紹介します。
①旅行会社のツアーで参加する
まず一つ目は、旅行会社のツアーで参加する方法です。日本からの渡航の場合、航空券とセットで申し込めるものもあります。また、ベトナム現地の旅行会社のwebサイトなどを探してみても良いかもしれません。現地の旅行会社を探す場合、日本語ガイドか英語ガイドか選べます。英語ガイドの方が価格が安いことが多いですが、日本語を話せるガイドと一緒の方が安心はできると思います。
②自力でバスで行く
2つ目は、ローカルバスを乗り継いでいく方法です。多少のベトナム語が話せるのであれば大丈夫かもしれませんが、わからない場合にはあまりお勧めしません。ベトナムに長期で滞在するバックパッカーであったり、何度もベトナムに行っていてベトナム語もある程度わかるのであれば良いかもしれませんが、不要なトラブルに会わないためにも避けることをおすすめします。
③車を1日レンタルする
3つ目は、クルマをチャーターする方法です。これは、その辺の流しのタクシーを捕まえてというわけではありません。現地の旅行会社などで申し込むのが一般的です。基本的には見積ベースにはなると思います。運転手は基本的にベトナム語しか話せない場合もありますので、注意が必要です。
会社によっては、英語が話せる運転手の場合もありますが、日本語を話せるドライバーは基本的にいないと思って良いでしょう。しかし、バスなどで行くよりは安心かもしれません。一つ注意が必要だとすれば、ドライバーです。一日安全運転で過ごしてくれたドライバーに感謝する意味を込めて渡してあげましょう。もちろん、会社によってはチップ込みである可能性もありますので、そこは要確認です。
ベトナム戦争とは
クチトンネルは、ベトナム戦争時に使用されたものですので、ベトナム戦争についても触れておきます。
ベトナム戦争の概要
ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)とは、フランスからの独立を果たしたインドシナ戦争によってできた北ベトナム(ソ連、中国)と南ベトナム(アメリカ)という2国間でおこった戦争です。ベトナム統一を目指す北ベトナムとベトナムの共産化を阻止したいアメリカの傀儡である南ベトナムによる戦争は、ソ連とアメリカの代理戦争であるとも言われ、東西冷戦期における最も激しい戦闘が繰り広げられた戦争でもあります。
ちなみに、ベトナム戦争では、北ベトナム側が「ホーチミン・ルート」と呼ばれる補給ルートを隣国のラオスやカンボジアを経由して確立しており、このルートを遮断しようとアメリカ・南ベトナム軍が両国に侵攻し戦火が広がっていたことから、第二次インドシナ戦争と呼ばれています。
北ベトナムと南ベトナムの対立
1954年、反共主義者ゴ・ディン・ジエムによるジエム政権は、独裁的な政治を行っていたこともあり、南ベトナムでは独裁に抵抗する勢力による反乱が起こるなど政治的に不安定な状態でした。この反乱は、のちに南ベトナム解放民族戦線(通称ベトコン)の結成へとつながることになります。
この結成の際に北ベトナムはベトコンを支援し、北ベトナム・ベトコンVSジエム政権・アメリカという構図になりました。ベトコンとジエム政権との内戦状態になった南ベトナムでは、アメリカは軍事顧問という形で政権を支援していましたが、ジエム(当時大統領)の暗殺を機に、南ベトナムはさらに混乱していったため、本格的な軍事介入を始めました。
アメリカの本格干渉
アメリカ軍は、空爆や戦車による爆撃などを大規模に行っていきましたが、ベトコンや北ベトナム軍は、ジャングルに身を隠しゲリラ戦を展開していくことになります。この際に使われたのが、クチトンネルです。
このゲリラ戦に苦戦を強いられたアメリカ軍は、枯葉剤(除草剤)を散布し、ゲリラ戦に対抗していきましたが、この散布が世界から多くの非難を集めるとともに、後世に大きな禍根を残すことになります。その後、1968年の旧正月(ベトナム語でテト)に、ベトコンによる全国主要都市での一斉蜂起(テト攻勢)で、軍の中枢や大使館を占領されたアメリカ軍は、世界中からの非難も相まって撤退に向けた道を歩むことになります。
この撤退により、アメリカは歴史上初めての敗北を経験することになります。また、国内の反戦運動の高まりや外交上の孤立など様々な問題が発生し、大きな打撃を受けることになりました。
ベトナム戦争の終結
1973年にアメリカ軍が完全撤退した後は、北ベトナムと南ベトナムの戦いとなりましたが、北ベトナムが優勢であることは変わりませんでした。そして、1975年北ベトナムによるサイゴン総攻撃でサイゴンは陥落し、戦争は終結することになります。ここで11年にも及ぶベトナム戦争が終わりましたが、当時4000万人の国民のうち300万人が戦争でなくなったともいわれており、その戦争の悲惨さがうかがい知れます。
クチトンネルはベトナムの負と勝利の二面性を持つ
いかがでしたでしょうか。今回はベトナムの負の歴史ともいうべきベトナム戦争とその史跡について説明しました。筆者も実際に行ったことがありますが、当時のベトナム人の知恵に驚かされるばかりでした。機会があればぜひ行ってみてください!
それでは、ヘンガップライ!